たとえそれがアイツでも

      
    なーんか妙な世界に来ちまったなぁ……。
    
    最初の俺の感想はそんなもんだった。
    
    
    
    だからっつって別にパニックになってなかったわけではない。寧ろパニクり過ぎてパニクることを忘れたっていうか。
    ここに来てからの数日間はあまりの事にポカンとしていたらいつの間にか過ぎ去っていた感じだ。
    そして元の世界に帰る手立ても特に見つからないまま、俺はこの世界に来てこの度3年目の春を迎えている。
    
    「孝輔ー!そろそろ起きなさーい!」
    
    階下から聞こえる母親の声に返事をして、俺はベッドから起き上がった。
    3年前までは全く聞き覚えのなかった声。寝て起きたら、いつの間にか俺の母親ということになっていた人。
    部屋を出て階段を下りていると、リビングの扉からひょこりと顔を出した弟と目があった。
    そいつは俺の姿を確認すると何も言わずまたリビングへと戻って行く。
    
    あいつが俺より早起きなんて珍しいなと考えて、あぁそう言えば今日だったかと思い出す。
    
    「孝す、あ、降りてきた?早くご飯食べちゃいなさい」
    
    もうすっかり馴染んでしまった席に、珍しくご飯とみそ汁と言った古き良き日本の朝食が用意されていた。
    普段は簡単にトーストとコーヒーなのだが、別段それにこだわってるわけでもないので有難く頂戴する。
    
    「お前今日入学式だろ?」
    
    みそ汁を啜りながら向かいに座っている弟に声をかけると、億劫そうに「おー」と返事があった。
    
    なんとなく着慣れていない、でも俺にとっては見慣れた制服は今俺が学校に来て行っているものと同じだ。
    だがその姿を見慣れてるような気がするのは、いつも自分が同じ制服を着ているからというだけではない。
    
    「ったく式とか面倒くせー……。なぁやっぱ高校も校長の話とか長ぇの?」
    「何処行っても校長って名前がついてる奴の話は長いもんだろ」
    
    俺がそう答えると弟はあからさまに嫌そうに顔を歪めた。
    父親譲りの浅黒い肌をした弟と母親に似てどちらかという黄色っぽい肌をした俺を見比べて、一目で兄弟だと見抜いた奴は今のとこ
    いない。
    いるわけがないと思う。だって俺とこいつは、他人なんだから。
    
    他人……だったはずなんだけど。
    
    だらしなく緩めたネクタイと、ボタンも留めずはだけさせたジャケット。
    暑いのか少しだけ腕まくりしようと頑張っている(ジャケットじゃ無理だ諦めろ)袖口から覗く腕はきちんと鍛えられているそれだ。
    その光景には何故だかとても見覚えがあって。いや何故とかそんなの過去に見たことがあるからだけど。
    
    4年前。つまりはこの世界に来る前、元の世界で俺が一度目の高校2年生をやっていた時に1年生として同じ部に入って来た天才。
    キセキの世代と呼ばれた奴らの中でも、エースの名を欲しいままにしていた野生児。
    浅黒い肌に短く揃えられた青い髪、獣を思わせるしなやかな四肢。少しだけ吊り気味の目尻。
    頭の中で思い浮かべなくても、目の前にいる今の俺の弟を見れば特徴なんて幾らでも上げられる。
    
    「孝輔も大輝の入学式ついてくる?」
    「ヤだよ。なんで折角の休みに弟の入学式についてかなきゃなんねぇの」
    「なんだよ、孝輔のとこ今日部活ねぇの?」
    「あるわけねぇだろ。体育館は今日一日新入生の貸し切りだバーカ」
    
    
    
    青峰大輝。キセキの世代エース。可愛くないけど俺なりに可愛がっていた一つ下の後輩。
    
    だったのに。
    
    
    
    「それじゃ行って来るわね」
    「孝輔、学校終わったら連絡入れるから外飯行くぞ」
    「わーったよ、いってらっしゃい」
    
    
    
    朝起きたらそいつは、俺の弟になっていた。
    
    
    
    
    
    
    □□□
    
    
    
    
    
    
    
    きっかけは―――ない。
    
    いやもう、本当に突然だった。別に前にいた世界で事故って死んだとか、そんなこともない。記憶が飛んでるとかもあり得ない。
    普通の日だった。次の日は学校の始業式で、宿題もない春休み最後の一日を俺は部活の仲間と集まってストバスして過ごした。
    日中汗を流し、また明日なと仲間達と別れ、紛れもなく17年間自分を育ててくれた母さんの作った夕飯を食べ、日が変わらない
    うちにベッドに入った。
    何も変なとことかないだろ?普通だろ?どっちかってと健全過ぎてつまんねーよみたいな?
    
    なのになんでか次の日目覚ましたら俺は全然知らない部屋の全然知らないベッドの上にいたんだよ。ホントなんでだよ。
    
    意味もわからず起きぬけでまだ回ってない頭で絞り出した言葉は「……は?」だった。
    え?何?拉致?監禁?そんなことが頭を過りながらも、そこまでの恐怖を感じなかったのはその部屋が至って普通の部屋だった
    からだ。散らかってたけど。
    掛け布団のカバー、壁の色、カーテンの色、家具の位置。全部知らないもののはずなのに、俺は何故かその時その部屋に妙な既視感を
    感じた。
    それに、その時に身に着けていたパジャマ。昨日の夜はTシャツと短パンって格好で寝たはずだ。パジャマなんてここ数年着た覚えが
    ない。
    だが俺はそのパジャマ自体には見覚えがあった。中学生の頃に着ていたものだ。けれどこのパジャマは確かサイズが合わなくなって
    大分前に捨てたはず……。
    
    もう頭の中は疑問符だらけだ。どうしよう。それだけしかない。
    思考がショートした頭で考えられることは何もなく、そうすれば働くのは本能だ。
    帰巣本能。とりあえず家に帰らなければということだけが、俺の頭を占めた。
    
    きょろきょろと周りを見回し、ベッドから下りる。
    その時視界に妙な違和感を感じたが、それがなんなのかその時すぐにはわからなかった。
    先ほども言ったが部屋の中は普通だった。普通の、男の子の部屋という感じだ。
    教科書が積み重ねられた勉強机に、学生鞄、漫画の詰まった本棚、壁に貼られたポスター。
    そのポスターを見てはたと、あれ?このポスター俺の部屋に貼ってるのと同じだ、と気付いた。
    NBAで活躍し、貼った当時はバスケ仲間の間では絶大な人気を誇っていた。今はもう引退してしまったが、それでも好きなことには
    変わりないので俺の部屋には今もまだこのポスターが貼り続けられている。
    
    それを見て、最初にこの部屋を見回した時の既視感を思い出した。
    知らない部屋のはずなのに、何故か知ってる気がする。どこか、懐かしいような、そんな気が……。
    懐かしい、と思ってからふと机に積み上げられた教科書に目をやった。
    それは今俺が使ってるものじゃない。だけど見覚えがある。
    国語とタイトルに記されたそれは、自分が中学生の時に使っていたものと同じ教科書だった。
    
    この部屋の主はもしかしたら中学生なのかも知れない。そう思いながらそっとその教科書を手に取る。
    パラリと中身を開けば、新品なのかふわりとインクの香りがした。
    国語(2)と書かれているのでこの持ち主はきっと二年生なんだろう。
    元に戻そうと教科書の山へと視線をやって、思わず「え?」と声を上げた。
    裏返しに置かれている教科書。多分社会のものだと思われるそれの隅に、名前が書いてあったのだ。
    
    「二年C組、青峰……?」
    
    下の名前は書いていない。特徴的な名字だし、誰かと被ることもないからだろう。
    咄嗟に手に持っていた国語の教科書も裏返して見る。それにも同じように、二年C組青峰と名前が記されていた。
    
    青峰、と聞いて俺の脳裏に色黒の後輩が思い浮かぶ。
    
    「あいつの部屋?」
    
    ……にしては不自然な所が多すぎるよな、と俺は眉を寄せた。
    一体ここはなんなんだと頭を抱えたくなったその時、いきなり背後で大音量の音楽が流れ出した。
    
    「うああおぉお……っ!?何!?何!?」
    
    驚きすぎてすげぇ変な声が出た。後思いっきり肩跳ねた。
    普段そんなに怖がりというわけではない俺だって、いきなり背後から電子音が流れてきたらビビるっつうもんだ。うん、誰だって
    ビビる。あれはビビる。絶対。
    俺は持っていた教科書をその山の上に放り投げるようにして戻すと、これどこから流れてきてるんだと周囲を窺った。
    するとベッドの上で何かがピカピカと光っているのを見つけて、そっとそれに近づく。
    
    「……あぁ、携帯か」
    
    どうやら携帯のアラームが鳴ったらしい。
    折り畳み式のそれを手慣れた手つきで操作しつつ、またそれに不思議な違和感を覚えた。
    
    「あれ……てかこれ、俺の携帯じゃね?」
    
    正確に言えば、今使っているスマホに買い替える前まで使っていた携帯だ。
    そう言えばあの音楽も、一時期俺がアラームに設定していた音楽だったと気付く。
    確かいつも6時半にセットしていた。
    
    「え、今何時……」
    
    ホーム画面の壁紙は、壁に貼ってあるポスターと同じ選手の画像。
    設定で大き目に設置してある時計は、デジタルで06:32と表示されていた。
    
    「やっぱ……俺のだ」
    
    小さく呟いた声は、少しだけ震えていた。
    そりゃそうだろう。だってもうその携帯は既に解約して、本体もショップで処分して貰っていたんだ。
    本来あるはずのないものが、手元にある。あの時の俺には手の中の携帯がすごく異様な存在として感じられた。
    
    その時初めて、〝妙な世界に来てしまった"と感じたのだ。
    拉致とか監禁とかそういう犯罪染みた、そんなニュースで流れるような異常事態じゃない。
    パジャマ、携帯……あるはずのないものが当たり前のように存在している。
    大分前に映画で見た『ときをかける少女』を思い出した。
    
    「もしかして、タイムスリップって奴か……!?」
    
    それならば携帯もパジャマも説明がつく。
    ベッドから立ち上がった時に感じたあの違和感も納得がいった。記憶しているのよりも一気に背が縮んだ為、視界が低くなって
    いたのだ。
    多分今の背ならば、中学生ぐらいか。
    
    だが、タイムスリップというだけではおかしな所がある。
    
    まずこの部屋が俺のものではないということ。俺は引っ越しと言うものを経験したことがないので、小学生からずっと同じ部屋を
    使っていた。
    その部屋はこんな部屋ではなかったはずだ。それに机も本棚もベッドも、俺の記憶にあるものじゃない。
    なのに机の上に置かれている小物だったり、本棚に入っている漫画だったりはまるで自分の部屋からそっくりそのまま持ってきた
    ように同じなのだ。
    後は何より、あの教科書に書かれていた名前。
    俺が青峰と出会ったのは1年前。高2の春だ。それ以前にあいつと面識はなかったし、それ以外に青峰という知り合いもいなかった。
    
    どういうことだ、と俺は頭を抱えた。
    携帯のアドレス帳を開いてみても、当たり前に青峰という名前は登録されていない。
    もしかしたらもう知り合いになってたり?教科書借りたとか?という説は簡単に崩れた。まぁあるとも思ってなかったけど。
    そのままカチカチと操作を続ければ、今はもうアドレスから消してしまった昔の友人達の名前がちらちらとあって、なんとなく
    懐かしい気分になった。
    
    元気にしてっかなぁ。あ、そういやこいつと同じクラスだったから、学校で会える可能性もあるのか。
    そんな感じに気楽にもちょっとタイムスリップもいいかもなぁとか思ってたところに、入れた覚えのない名前を見つけてぴたりと
    手を止めた。
    
    「え、『大輝』って」
    
    名字は入っていない。ただ名前だけ『大輝』と入れられたそれを開くと、メールアドレスと携帯の番号だけが登録されていた。
    咄嗟にアイツのものと比べようと思ったが、一々そんなアドや番号を覚えてるはずもない。
    
    「大輝……大輝……ダメだあいつしか浮かばねぇ!」
    
    もしかしてそんな名前の奴がいたのかと色々思い出してみたが、アドレスを交換するほど親しくしてた『大輝』は残念ながら記憶に
    なかった。
    
    ―――ふと、もしかしてとアドレス帳を閉じた。
    ホーム画面に戻ると、今度はホームボタンを押した。そして、短縮の0を押す。
    そうして表示されるのは、皆さんご存じ、プロフィールページ。
    
    もしかして、だった。ただの「そんなことはない」、という確認のつもりだった。
    さっきのアドレス帳を開いた時と同じような、違うということの確認。
    
    それなのに何故か。この仮説がまたどうしてか、当たってしまったのだ。
    
    
    
    
    
    「あ……青峰、孝輔?」
    
    
    
    誕生日4月16日。牡羊座。A型。うん、合ってる。これ俺のプロフィール。
    
    後は名前の名字が青峰じゃなく若松だったならな、完璧だったな。惜しい。てかそこ一番間違って欲しくない場所というか。
    間違え方ももっと他にあっただろっていうか。
    
    
    
    
    
    「なんで青峰?え?青峰?俺、青峰?」
    
    ……いや、いやいやいや俺若松だし!桐皇高校(今年の春から)3年若松孝輔ですけど!?男子バスケ部センターの現主将
    ですけど!?
    ああああああああ誰だよこんな個人のアイデンティティを大崩壊させようとする奴出てこいゴルアァァ!!ブっとばす!マジ
    ブっとばす!!
    
    混乱がピークに達して、心の中ではこんな世界に落としやがった誰だかにスラングを吐きまくり、
    実際口からは「あああああああああああ!!」と言葉にならない声が漏れ出ていたらしい。
    頭をガシガシと掻きながらもう意味がわからず半泣きで呻いていると、急に部屋のドアががちゃりと開けられた。
    ビクリと肩を揺らして勢いよくドアの方へと振り向くと、そこにはポカンとした顔の―――青峰が立っていた。
    
    (あ、ああああああああぁぁぁぁぁぁ!!)
    
    なんか小っさいいいいいい!!小さいけどこれ青峰えええ!!絶対青峰ええええ!!だって黒いもん!!髪青いもん!!顔つきも
    悪……あ、でもなんかよく見ると結構あどけない顔付き、って違う!!
    そうじゃないだろそこじゃないだろ!と俺が一人でセルフツッコミを入れていると、青峰(小)が部屋へと入って来た。
    
    「何してんの兄ちゃん。大丈夫かよ」
    
    ……ニイチャン、ダト?
    
    俺がその場でコチンと固まっていると、青峰(小)はこちらへと近づいてきて徐に俺の顔を覗き込んできた。
    その顔はなんだか訝しげで、あと少しだけ心配してなくもないような色をしている。
    余りの驚きにもうコクコクと頷くことしか出来ず、青峰(小)の表情が晴れることはなかったがこれ以上聞いても無駄だと思った
    のか「朝っぱらからギャーギャー騒ぐなよ」と迷惑そうに吐き捨てて部屋を出て行った。
    
    また部屋に一人になった俺は、ボフリと布団に倒れ込んだ。
    
    なんだ、一体どうなってる、なんで青峰が俺のこと兄ちゃんて呼ぶんだよ……っ!?
    
    わからないことしかなかった。
    いきなりパラレルな出来事が起こった理由も、時間が巻き戻った理由も、青峰が俺の弟になってるらしい理由も。
    ただもう俺の頭で処理仕切れる容量を遥かに超えたことが起きてるのは確かで。
    もう何もかもが理解しきれない俺にその時出来たことは、現実逃避と言う名の不貞寝ぐらいだった。
    
    
    
    
    
    □□□
    
    
    
    
    
    
    枕元でピリリピリリと着信が鳴る。
    スマホに買い替えたばかりでまだ初期設定なそれに起こされて、ったく誰だよと画面を覗けば、発信者は大輝だった。
    あれ?と思いながら通話ボタンを押して電話に出れば、「入学式終わったけど」と短く伝えられる。
    
    嘘!?と壁掛け時計に目をやれば、短針はもう昼の12時を指していた。あーあ……と思いながら身を起こす。
    
    『孝輔今どこだよ?腹減った』
    「あー……今起きた。これからそっち向かうわ」
    『はぁ!?んだよそれ!12時前には終わると思うからそれに合わせて駅行くっつたのお前だろうが!』
    「悪かったって。二度寝しちまったんだよ」
    
    案の定怒鳴りつけてくる弟に、流石に今回はこちらに非があるのは明白なので素直に謝る。
    あの頃は何かと癖に触る言動を繰り返す青峰に全身全霊で突っかかりに行きやいのやいのとやりあっていたが、流石に20歳を超えて
    ある程度余裕を持つということを覚えた今は下手に出るのも時には必要だと学んだ。いや厳密に言うとまだ17なんだけど。前のと
    合わせれば20年は生きていることになるんだし、嘘はついてない。
    がなり続ける大輝を「悪い悪い」と適当に往なしつつ、俺は頭の中で今から行けば駅に着くのはどれくらいになるだろうと計算した。
    
    「今からだと駅着くの多分13時越えると思うから、先店入って食っとけ。腹減ってんだろ?」
    『……減ってるけど』
    「駅着いたら連絡するから、んじゃな」
    『ん』
    
    大輝と話しながらも身支度を整えていた俺は、玄関で靴を履きながら通話を終わらせた。
    きっと桃井も一緒だろうからあそこら辺ならファミレス辺りにでも入っただろうか。大輝なら女の子を連れてても躊躇なくラーメン屋
    などに入りそうだが、それは桃井が許さないだろう。
    
    桃井はこちらの世界でも大輝の幼馴染だった。
    小さい頃は俺も含めてよく3人で遊んでいたらしく、兄弟のように育った仲らしい。
    らしいというのもあれだが、俺にはこっちに来る前の記憶などないのだから仕方ない。
    初めてこの世界の桃井と会ったのは、大輝と揃って学校から帰ってきたのに家の前ではち合わせた時だ。
    顔を合わせたのは久しぶりだったらしく、嬉しそうに「あ、孝ちゃん久しぶりだね!」と言われた。
    
    孝ちゃんと言われて一瞬誰のことかわからなかった。まぁそうだよな幼馴染な大輝を大ちゃんっつってんだから俺は孝ちゃんだよな。
    知らないながらもなんとなく事情は察して「よう桃井久しぶりだな。元気してるか?」と返した。
    我ながら焦りを表に出すこともなく当たり障りのない返事をしたのだと思ったのだが、何故か桃井にはきょとんとされた。
    その場はまぁ適当に一言二言喋って、桃井が家の中へ戻って行くのを見送って俺も大輝と家に入ったんだが、そこで大輝に「なんでお前
    さつきのこと桃井とか呼んでんの」と言われて、漸くあの時の桃井のきょとん顔に合点がいったのだ。
    
    指摘されりゃそうだなって思うけどさ、俺にとっちゃちょっと前までは可愛い後輩の女の子だったんだよ。そんな咄嗟に名前でなんて
    呼べるわけなくね?
    と、俺は今でも言い訳のように思ってる。なんでそんな言い訳してるかっていうと、それから桃井が大輝のことを名字+君付けで呼ぶ
    ようになったからだ。勿論俺のことも名字+さん付けで呼ぶようになった。俺はともかく大輝にはなんだか申し訳なかった。
    
    まぁそれでも桃井のことを名前で呼ぶことを変えない大輝には、ちょっと微笑ましさを感じている。
    あの頃はそれが普通だったしなんとも思わなかったけどよ、よく考えれば思春期の男子が女の子を下の名前で呼び続けてるって結構
    勇気いるぜ?
    一番の問題は大輝自身がその理由に気付いてねぇってことなんだよなぁ。それすら越えれば付き合うどころか簡単に結婚まで事が
    運ぶんだけど。
    
    でも時間の問題だよな、などとつらつら思っているうちに駅に着いた。
    時計を見れば13時10分。計算通りの時間だ。
    多分そこだろうと目星をつけているファミレスに向かいながら、大輝に連絡を入れる。
    
    「あ、もしもし大輝?着いたぜ」
    『ファミレス』
    「今向かってる。桃井も一緒か?」
    『あぁ』
    「わかった。んじゃな」
    
    なんかえらい機嫌悪ぃなあいつと思いながら電話を切った。
    いつもより格段に低い声に首を傾げながらも、目当てのファミレスはすぐそこに見えてきていた。
    
    階段を上って二階にあるその店へと入る。
    
    寄ってくる店員に「連れがいるんで」と断ると店内を見回した。
    こういう時目立つ髪の二人は便利だ。窓際の4人掛けの席に向かいあって座っている二人はすぐに見つかった。
    桃井は何やら携帯を弄り、大輝は待ちくたびれているのか完全に机に突っ伏している。
    
    「悪ぃ、待たせた」
    「遅ぇ!!!!!」
    
    近づいて声を掛けると、机に突っ伏していた大輝がガバッと顔を上げて吠えかかってきた。
    やはり機嫌は最悪らしい。ただでさえ悪人面なのに眉間にめちゃくちゃ皺寄せてるもんだから人の一人や二人殺してそうな顔付きに
    なってる。
    
    「悪かったって。つかお前なんでんな機嫌悪いんだよ」
    「んなもん腹減ってるからに決まってんだろ!!」
    
    大輝の言葉に俺はえ?と目を瞬かせた。
    
    「食ってねぇのかよ?なんで?」
    「一緒に食べようと思って青峰さんを待ってたんですよ」
    
    携帯を鞄の中に閉まった桃井が笑いながら説明してくれた。
    どうやら気を使わせてしまったみたいだ。てかこんなに腹空かせてる青峰に待てを言いつけれるとは、桃井が只者じゃないのか
    大輝が桃井に甘いのか。
    
    「先食ってくれててよかったのに。大輝もうるさかったろ」
    「あ、ううん待つって言い出したのは……」
    「おい孝輔早く決めろよ。店員呼べねぇだろうが適当に頼んじまうぞ」
    「だからお前せめて外では兄貴って言えっつってんだろ!後足蹴んなよ!俺ステーキ定食!」
    
    よほど腹が空いてんのかガスガスとテーブルの下で足を蹴ってくる大輝に怒鳴りながら、ついでにここに来る時に頼むいつもの
    やつをメニューも見ずに告げる。
    ったく……中学の始めの頃はにーちゃんにーちゃんっつって寄ってきて、生意気ながらも可愛かったのに。
    
    元々兄貴しかいなかった俺は弟というものに憧れがあったのもあり、突然出来たこの弟をなんだかんだと可愛がっていた。
    それが青峰だとしても、いや、なまじ元の世界の青峰を知っているからか、余計にあの頃の小さな大輝が可愛く見えたのかも
    知れない。
    それに、口を開けば生意気なことしか言わなくて先輩を先輩とも思わない態度で見下した笑いしかしなかったあいつが、ちょっと
    前まではこんな風に笑ってたのかと思うと、なんだか守ってやらなくてはという気にもなったんだ。
    そんな思いも儚くやっぱりこうやってグレ峰になってしまったわけだが……今になっても前のあいつより可愛く思えるのはやっぱり
    俺の気持ちの問題だろうか。
    
    桃井と大輝はもうメニューを決めていたらしく、俺の注文を聞くとさっさとブザーを押して店員を呼び出していた。
    てか大輝の奴腹減ってるからって頼み過ぎだろお前それ主食どれだよ馬鹿じゃねぇの。奢りだからって調子乗りやがって。
    しかしジト目で「誰かさんが遅れてきたせいで俺超腹減ってんだけど」と言われれば何も言えない。クソ、二度寝とかすんじゃ
    なかった。
    
    「孝輔はドリンクバーいらねぇの?」
    「あぁ、俺はいいや」
    
    飯食うだけだしお冷だけで支障はないのでドリンクバーは断った。
    二人は俺が来るまでドリンクバーで凌いでいたようだ。店員が注文を聞いて去った後に桃井が「ちょっとジュースおかわりしてくる」
    と席を立った。
    ついでに大輝の分の空になっていたグラスも持って行った。ホント出来た子だと思う。
    
    「お前さっさと桃井のこと捕まえとけよ?じゃねぇと誰かに取られちまうぞ」
    「あ?んだよいきなりよ」
    
    桃井もモテるからなぁ。大輝は見た目はともかく如何せん態度が悪いし怖ぇからかそこまでモテないからいいとして。
    うちの親も大輝の嫁は桃井にって思ってるみてぇだし、逃がしたと言えばどうなるか。
    背筋に寒いモノが走るのを感じながら俺は大輝にとりあえず忠告だけしておいた。大輝は訳わかんねぇって顔してるが、まぁいずれは
    わかるだろう。わかってくれないと困る。
    
    「てか俺よりも孝輔じゃねぇの?彼女いねぇくせに」
    「……うっせぇよ!」
    「なんかこの前好きな奴いるっぽいこと言ってたじゃねぇか。あれからどうなってんだよ」
    
    大輝にニヤニヤ笑いながら言われて、そういやそんな口を滑らしてしまったことがあったなと思い出して顔を顰めた。
    
    「別にどうとも……」
    「あー、なんですか青峰さん、例の人の話ですかー?」
    
    どう言い繕おうかと考えているうちに、戻ってきて欲しくない奴が戻ってきてしまった。
    しかも一番聞いて欲しくないところをばっちり聞かれていたらしい。
    
    一つのジュースを大輝の前に置いて、もうひとつを自分の前に置いて元の席へと座った桃井は、非常に楽しそうに笑っている。
    
    「結構良い感じですよねー?」
    
    ……なんかこのニッコリが怖いんだけどなんなのこいつどこまで知ってんだよ。
    前からこいつの情報網は半端ないとは思っていたが、どこから嗅ぎつけてくるのかその情報は恐ろしいほど綿密で正確だ。特に、人の
    色恋沙汰には目の色を変える。つーかその情報バスケと関係ねぇだろうがそういう才能の無駄遣いやめろ。
    
    この前大輝にうっかり好きな人がいると漏れてしまったのも、この桃井が原因だった。
    週に2度ほどうちに夕食を食べに来ている桃井が、あろうことかその席で「孝輔さんにもとうとう春が来たんですよねー?」という
    爆弾を落としたのだ。
    あ、因みに親の前では桃井は俺を名前にさん付けで呼んでいる。まぁ全員青峰さんだからややこしいし。
    
    あとその時の俺のリアクションも問題だった。いやだってまさか桃井にバレてると思わねぇしそれを食卓で言われるとも思わねぇだろ。
    見事に図星ですという焦りを見せてしまった俺はもう誤魔化しなど出来るわけもなく、あれから何度か大輝に誰なのか教えろよと
    言われていたりするのだが……ちょっとそう簡単に行くものでもなければ教えられるものでもないというか。
    
    「え、何。脈ありなのかよ?」
    「別にいいだろなんでもっ!」
    「いいけど気になるじゃねぇか。なぁさつき、どんな奴なんだよ。おっぱいでけぇか?」
    
    まず聞くのそこかよっ!ホント期待を裏切らねぇ奴だなお前は!
    大輝の質問に桃井も怒るかと思いきや、意外にもただ笑みを濃くしただけだった。
    にんまりと笑いながら「さぁどうだろうねぇ?」と俺の方をちらりと見る。
    
    「まぁ青峰君もすぐに会えるよ。二人とも……今季からスタメンは確実だろうし」
    
    二人、とは俺と大輝のことだろう。
    大輝はよくわからないって顔をしているが、俺は内心冷や汗ダラダラだった。
    ……一度桃井とはよく話合うべきかも知れない。主にどこまで知っているのかということと、そっとしておいてくれということに
    ついてだ。
    
    早く!ウェイター!早く品物を!と必死で願う俺の気持ちが届いたのか、ほどなくしてどっさりと頼んだ品が次々と運ばれてきて
    大輝の目がそれに逸れたことに俺は本気で安堵した。
    だがこの時ホッと気を抜いて桃井の発言を聞き流していなければ、あんなことにならなくてすんだのかも知れないのだが。
    
    「でもすぐわかると思うよ?青峰君なら、ね」
    
    
    
    
    
    
    
    その後大輝がバスケ部に入部して一ヶ月も経たない内に俺はあいつから、
    「諏佐さんかあああ!!諏佐さんなんだなお前ええええぇぇぇぇ!!!!!」と胸倉を掴まれて問い質される羽目になるのだが
    それはまた別のお話。 
          

当サイトは以下の条件で動作確認を行っております。

windows8/enternet explorer11/firefox 26.0/解像度1366×768

推奨環境:enternet explorer8以上、解像度980以上

All rights reserved ポウ.