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(この主人は、全く……)
ベッドで不貞腐れたように寝転がっているユーリを見て、ラピードは気づかれぬようそっと溜息をついた。
久しぶりに下町に戻ってきたついでに軽くパトロールじみたことをやっている間、一体この主人に何があったのか。
1.もう一人の主人であるフレンと喧嘩した。
2.酒場に集まっていたあまり柄のよろしくない男に「よう姉ちゃん!」と声をかけられた。
3.街で女に間違われてナンパされた。
だいたいこんな感じだ。
ユーリが機嫌を悪くすることはあまりない。
気が長いということはないが、不機嫌が尾を引くことも滅多にないのだ。
頭で扉をパタンと閉めても、その音が聞こえているだろうにユーリは顔をあげない。
怒っている、が、どことなく沈んでいるようにも見える。
それならもう原因は一つだ。
静かに目を瞑るとすっと神経を集中させ、一つ心の中で言霊を囁く。
すうと体の何かが変化する感覚。
目を開けば、先ほどとはうって変わって視界が数段高くなっていた。
何も言わずベッドに歩み寄り、その隅に腰かける。
「ただいま」
「……おかえり」
とりあえず帰宅の挨拶をすれば、ユーリはちらりとこちらを見て返事をしてくれた。
だがその顔には絶賛反省中と書かれていてもおかしくないほど、表情が曇っていた。
フレンと喧嘩した、というのは当たっていたらしいが、今回はどうやらユーリの方に非があるようだ。
それか喧嘩とすら呼べないことなのかもしれない。
夫婦喧嘩は犬も食わないというが、自分だって類にもれず食いたくなどなかった。
けれど、やはり自分の主人の元気がないと心配してしまうのも、犬心というものなのだろうか。
「ユーリ」
何も言わず、額にキスを落とす。
すり、と寝転がっているユーリの肩に擦り寄れば、少し笑って頭を撫でてくれた。
人間の姿を持って言葉を操れるようになったと言っても、ずっとユーリとはこうやってコミュニケーションをとってきたのだ。
言葉を重ねるよりも、こうやって彼の言葉を待つ方がラピードは好きだった。
優しい夜色の瞳に覗きこまれ、ユーリはいつもの癖でラピードの髪に顔を埋める。
いつもの匂いとは違うけれどどこかホッとするのは人の姿であれ獣の姿であれ同じだった。
「俺、思ってたより欲深いのな」
「ユーリが?」
「……今日さ、フレンのとこ行ったんだ」
ザーフィアスに戻ると、フレンの所に顔を出すのがユーリの日常だった。
別にそれを今更不思議とは思わない。
今日もユーリがそうすると思ったから、自分は町の犬達の様子を見て回っていたのだ。
「部屋に行く前にいつも通る廊下があるんだ。……あいつそこで、俺の知らない女の人と、楽しそうに笑ってた」
騎士の格好ではなかった。貴族、かも知れないが、あれは城に滞在する魔導師だったと思う。
フレンがどこで誰と話そうとフレンの勝手だ。自分がどうこう言うことではない。
仲が悪いよりも良い方が良いに決まってる。
フレンが自分のいないところでもちゃんと笑っていられる。それはとても喜ばしいことだ。
なのに、その瞬間自分の中に浮かんだのは、酷く醜い感情で。
怒りのような寂しさのようなドロドロしたものがすごく気持ち悪くて、そんなものを抱いてしまった自分が酷く汚らしいと思ったのだ。
そんな気持ちを抱えたままフレンに会うことなどできるはずもなく、ユーリはそのまま逃げるように帰ってきたのだった。
「だからちょっと、自己嫌悪中」
ハハ、と苦笑に近い笑いを浮かべているはずのユーリの顔が、泣きそうに歪んで見えるのは気のせいじゃない。
全く、相変わらず不器用なご主人だ、とラピードは思った。
強請ることを知らない、誰かに甘えて我儘を言うということを知らないこの主人は、
その裏でいつだって寂しいという思いを無意識に打ち消そうとする。
その癖それを欲しがっている人には思う存分与えて、見返りというものを貰うことすら知らない。
不器用で心配することすら許してくれない、けれど真っ直ぐでどこまでも優しい男だ。
今だって隠し切れていないというのに、本心を自分の内にしまいこんで無理に笑おうとする。
そんな彼を彼らしいと思ってしまう自分に内心少し呆れながら、ラピードはわざとらしく一つ溜息を吐いた。
「全く、ユーリがそんなことを思ったなんて、フレンには絶対言えないな」
「……ああ。こんな感情知られたら、あいつ、なんて言うか…」
「『ユーリが嫉妬してくれてたって、それ本当?うわすごく可愛い……っ。今すぐ抱きしめたい!!』」
「は、はあ!?ラピード何言って……っ」
「ちなみにこれ以上ないほどの満面の笑み付きだ。もしかしたらいらん惚気までプラスされるかも知れん。
そんな目に自分から合おうなんて思わないさ」
自分で言っておきながら、その言葉がそのままフレンの声で脳内再生されて少しげんなりした。
悪い男ではないのはわかっている。ラピード自慢のご主人様の片割れだ。
だがユーリの前で、というか、ユーリのことになると少々おかしくなってしまうのが玉にキズ、というぐらいで。
まあその傷が結構大きいのが考えものなのだが。
「ユーリ、お前はもう少し甘えてもいい。もっと我儘を言っても誰も怒りはしない」
「なんで……、十分甘えてるし、我儘も言ってる。お前にも、フレンにも、……皆にも」
だからこれ以上甘えることなどできない。自分のこんな感情を、フレンにぶつけたくなどない。
ラピードだってそうだ。今この瞬間、彼は自分を甘やかしてくれている。
自分の話を聞いてこうやって慰めてくれている。ユーリにとってはもうそれだけで十分だった。
「お前という奴は……」
今の言葉、いつも彼と共にいる仲間達に聞かせてやりたいものだ。
きっと全員異議を申し立てて、そんなことはないバカじゃないのか、と噛みついてくることだろう。
ちなみに今現在のラピード本人の心境的にもそうしたいのはやまやまである。
「フレンは別にお前が今抱えている感情をぶつけたところで、お前を嫌だとか重いだとか考えもしないさ。喜びはするだろうがな」
「なんでわかんだよ、そんなこと」
「わかるよ。普段どれだけフレンに愚痴られていると思ってるんだ。やれユーリが冷たいだの、そっけないだの、甘えてくれないだの」
「……う」
「それに、フレンだって同じ気持ちを持ってる」
「え、フレンも……?」
「前もレイブンに『騎士団長さんの目がおっかなくてユーリに近づけないのよ~。あの青年なんとかしてくんない?』とか言われたしな」
ちなみに返事は無理だと返した。
できるわけがないそんなこと。おっかないのはこちらとて同じだ。
「なんであいつそんなおっさんのこと目の敵にしてんだ?仲あんま良くないのか?」
それなのに、このご主人はそんなことをきょとんとした真顔で言ってくるものだから、さすがに呆れた。
こういう時ばかりは少しフレンに同情してしまう。
「だから、フレンはレイブンに嫉妬してるんだろ。
ユーリがフレンと喋ってた女の人に抱いた気持ちと同じものを、フレンはレイブンに抱いてる」
「そ……」
「ちなみに仲間内全員に抱いてる。勿論俺も例外じゃなく、な」
特に人型がとれるようになってからは、より顕著にそれを感じるようになった。
実際口で「その姿でユーリのこと舐めたりしちゃダメだからね?」とも言われている。
笑っていたけど、顔はなんだか怖かった。
ユーリを見れば、いまいち信じられないのか少し困惑した様子で視線を泳がせている。
「まあそういうわけだから、ユーリが自己嫌悪することなんて何もない」
もしすることがあるとしたら、それは自己嫌悪などではなく、
自分がどれだけフレンに思われて周りが被害をこうむっているのかを知ることだと思う。
決して口に出しては言えないけれど。
「……うん」
不承不承ながら、ユーリがコクンと頷いた。
新しく知った事実が恥ずかしいのかほんのりと頬が赤らんで、我がご主人ながらすごく可愛く愛しい。
どうやら沈んでいた気持ちは一応浮上したようだ。
ユーリはありがとうな、と言いながらラピードの頭をよしよしと撫でた。
礼などいらない。
だってユーリは俺のご主人で、俺の相棒なのだから。
「ユーリ」
いつものように笑ってくれたのが嬉しくて、つい今までの癖でぺろりとユーリの頬を舐めてしまった。
ユーリにもフレンにも人型の時はしないよう言われているのだけれど、今のユーリは特に気にした様子もなく「くすぐってえって」と
笑うだけだ。
やめろと言われないことを良いことに、ペロペロとユーリの頬を舐める。
甘いものが好きでよく食べているせいか知らないが、ユーリの頬は昔からほんのりと甘い匂いを漂わせているのだ。
思えば、最近こうやってじゃれついて遊んで貰っていなかった。
明日はきっとフレンのところに行くのだろうし、この際少し構ってもらおうとラピードはそのままユーリに圧し掛かる。
「ちょ、こらラピード!!」
ユーリも口では怒っているものの、顔は綻んだままだ。
今のラピードにはついていないはずの尻尾が、パタパタと揺れている様が見えるようだった。
頭を撫でる手にじゃれついてきて、甘噛みしてみたりペロペロと舐めてみたり、くすぐったいけど嫌ではない。
人型になってもこういう甘え方は同じなのな、と思いつつ好きなようにさせてやる。
いつもやっているようにラピードの首に手を廻してぎゅうっと抱きつけば、首元辺りをペロリと舐められた。
癖なのかフンフンと匂いを嗅ぐような動作をする。
そういえば人型の時も嗅覚って同じなのかななどと考えていると、不意にドアをコンコンとノックする音が聞こえた。
「ユーリ、いるかい?」
ユーリが返事をする前に、そう声をかけながら少し軋んだ音を立てて扉が開かれた。
返事が返ってくる前に扉を開けるなんてユーリ自身もよくすることだから、別段気にしない。
「おぉ、フレン。久しぶりだな」
先ほどまでなら顔を合わせづらいということもあったかも知れないが、今は気持ちもすっきりしていて
ユーリは普通にフレンを部屋に招き入れた。
が、フレンは何故かその場でピシリと固まったまま動こうとせず。
不思議に思って「フレン?」と声をかけてみるが、その声にビクリと反応したのは何故かラピードで。
「あ……フ、フレ……」
なんとか声を出そうとしているものの、どうやらフレンの方を見る勇気はないらしい。
部屋に気まずい雰囲気が流れるが、ユーリはそれが何故なのかいまいちよくわからず首を傾げた。
ただ見るからに狼狽えて完全に耳を伏せてしまっている(ような幻影が見える)ラピードがなんだか可哀そうで、
よしよしと頭を撫でてやった。
ラピードにして見れば嬉しいことは確かだが、同時に酷く大きなお世話でもある。
「……何、してるの」
フレンの口から出た言葉に、ラピードは体をすくみあがらせた。
切れてる。多分ラピードが今まで見てきた中で多分一番完全にプッツりと行ってしまわれている。
それはそうだろう。
なんせ言ってしまえば、自分の恋人の体の上に本性は犬とは言え図体のでかい男が圧し掛かって首元に顔を埋めているのだ。
それに輪をかけてユーリは嫌がるでもなく、その相手の首に手を廻して抱きついている始末。
怒らない方がおかしい。それがフレンなら尚更。
「い、いやこれはその……っ!!」
「何って、スキンシップ?」
そうだろう。ユーリにとって、いやラピードにとってもこの体勢はスキンシップ以外の何物でもない。
きっとフレンもわかってはいるのだろう。
だがわかっていても、理解できても納得がいくわけではない。
特にラピードには人型で頬を舐めるなどしないようにと言いつけているのだから、尚更だ。
恐る恐る。見たくはない。決して見たくはないが、フレンの方に目を向ける。
(あ、あああああぁぁぁぁ……っ)
言葉にならない。
何か背後に揺らめく炎が見えた。ドス黒いそれが自分に向って放たれるのは時間の問題だろう。
どうしよう、どうしよう、と内心頭を抱えるがもうどうにもならない。
またタイミング良く来やがってこの野郎!!とも思うが、まぁ当たり前に言えるわけなどなかった。
そんな怯えるラピードと変なオーラを撒き散らしているフレンを交互に見て首を傾げていたがユーリが、
不意に「あ」と声をあげた。
違うことで頭がいっぱいの二人にはそれはどうやら聞こえなかったらしいが、ユーリのハハハという笑い声に二人の意識が
ユーリに向けられる。
二人を見ると、ユーリは笑った。
少し頬を染めて、ふわりと、幸せが綻ぶような笑顔だった。
「……っ」
二人が息を詰める。
ラピードは怯えるのを忘れて、フレンは嫉妬で溢れかえる胸を忘れて。
「わかったよ、ラピード。こういうことなのな」
フフ、と笑いながらラピードの首に廻していた手にぎゅっと力を込めた。
ラピードは当然の如く反応できないでそのまま抱きしめられ、ユーリっ!?と慌てたように声を荒げたフレンに、
ユーリはわざとらしくツンとそっぽを向く。
「!?…ユ……」
「昼間のお返し」
それだけでも、もうこの世の終わりとでも言いたそうな顔でこちらを見つめるフレンに、べっと舌を出して見せてやった。
「ひ、昼間…って…?昼間は僕、君とは……」
「折角逢いに行ったのに、お前は知らない女と楽しげに話してるし」
ちょっと拗ねたように言ってやると、フレンは思い当たることがあったのか顔面蒼白のままブンブンと頭を横に振った。
「ち、違うよ!!あれはただ……っ!!!!」
「嫉妬した」
短く呟かれたユーリの言葉に、フレンの目が見開かれた。
漸く思考を取り戻してきたラピードも、なるほどなとユーリの言葉や行動に納得する。
……まあそういうことは自分がいないところでやって欲しかったと思わなくもないが、
多分一応、命は助かったと考えていいはずだ。
「最初そんな自分がすごく嫌でさ。お前はお前が暮らす世界があるし、俺がそんなこと首突っ込む権利なんてないのにって。
お前は俺を、その…す、好きだって言ってくれてるんだから、
そういうこと考えるのお門違いだって思って、ちょっと自己嫌悪してた」
「そんなこと!」
「うん。今のお前見ててわかった。そんなことないんだって」
好きだから、嫉妬してしまう。
避けられないのだ。どんなに信じていても、どんなに愛し合っていても。
揺らがないものなどない。
相手がいつ他に目を向けてしまうか不安で、いついらないと言われてしまうか不安で。
だから、『そうなるかもしれない相手』に嫉妬した。
汚い感情かも知れない。見当違いの思いだと思う。
けれど、それがもし『好き』という感情があるから、そこから生まれてしまうものなのであれば。
フレンが今ラピード向けていたあれは嫉妬だろう。
それはつまり、自分のことを好いてくれているからで、そこから生まれた気持ちなのだとわかった時。
どうしようもなく、胸が疼いた。
ラピードが言っていた「寧ろ喜ぶだろう」というのは、だからかとわかったのだ。
だから言おうと思った。
自分も、見ず知らずのただお前が話していただけの相手に嫉妬したのだと。
「あー……だから、つまりだな。それぐらい俺も…お前のこと好きだ、ってこと」
さすがに面と向かっては言えなくて、ラピードの肩に隠れてぽしょぽしょと呟くようにそう言ったユーリの頬は
真赤に染まっていた。
カツカツとベッドサイドまで歩いてくるブーツの音がして、次にそっと肩を抱かれる。
そのまま大した身長差もないはずなのに、ユーリはすっぽりとフレンの胸に包まれてしまった。
「ありがとうユーリ。すごく嬉しいよ……。でも、抱きつく相手が違うと思うんだけど」
フレンは胸中に渦巻くなんとも言えない喜びと感動の嵐の中、小さくはなったけれど真ん中にあるそのしこり部分を取りたくて
ユーリの手をラピードの首から離す。
するとそのユーリの手はするりと自分の首に巻きついてきて、フレンは漸く充足の溜息を吐いた。
解放されたラピードは二人を見て少し疲れたように小さくため息を吐くと、人型になった時と同じようにして獣の姿に戻る。
ユーリの甘ったるい吐息が聞こえてくる前に、と足早に部屋を出ようとすれば、こちらを射抜くようなフレンの視線に捕まった。
ぴたりと動きを止めたラピードは、仕方なくぎぎぎと廻したくない首を廻してフレンを視界にいれる。
想像していた通りの細められた目に浮かぶ怒りの炎に、ラピードは体を竦めた。
『後で覚えてなよラピード?』
そんな声が耳元で聞こえたような気がして、ラピードは泣きそうになりながらもさっさと部屋から逃げだしたのだった。
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