嫌だとは言わないよ

        
    時々思うのだ。うちの大将はどうにも言葉が足りない時がある、と。
    
    レイヴンは思わず固まった思考を無理やり動かした結果、「は?」と一言言葉を発するのに成功した。
    だが相手にとってその言葉はお気に召さなかったらしい。
    
    「は?じゃねえよ。脱げって言ってんの」
    「へ?あ、あぁ。脱げ…あぁはい脱げばいいのね……って、え、何で?」
    
    なんだか言葉につられて上着に手をかけたところで、漸く思考回路が正常に回りだしたようだ。
    脱ぎかけた手をとめ、本来なら一番に相手に投げかけるはずの疑問をやっと口にできた。
    
    目の前の青年に脱げと言われるのは、何も今回が初めてというわけではない。
    例えば心臓魔導器が少し具合がよくないのを隠してた時だとか。
    それから……いわゆる夜の営みという時に、向こうがやたらノリノリの時とか。
    だが前者の場合はもっと声に怒気が含まれていたし、後者の場合はいいようのない色香を漂わせていた。
    
    まずはやはり理由を問うのが先だろうに、言われるままに上着に手をかけた自分がなんだか情けなく、
    まるで飼いならされているようだと思ってしまう。
    ……まあ、嫌ではないあたりもう末期なのだろうけど。
    
    「脱がなきゃ縫えないだろ」
    「縫う?どこを?」
    「なんだおっさん、気づいてないのかよ。肩のとこ結構派手に破けてんぞー?」
    「え、マジ!?」
    
    言われて肩を触れば、確かに右肩の部分の肌ざわりが上着のものではない。
    そこの部分だけ下に着ている服の感触を感じ、上着に結構大きな穴が開いていることがわかった。
    でも別に戦闘中にやられたものではないようだ。
    枝にひっかけたか、もしくはもう布の寿命なのか。
    
    「どっちみち、新調しなきゃダメかねえ……」
    
    レイヴンが上着を脱ぎながらポツリと呟くと、その言葉を拾ったユーリが眉を寄せる。
    
    「なんだよ。穴が開いたっつっても肩だけじゃねぇか。勿体ない」
    「えーでもやっぱさー、穴開いてる服着てたくないじゃない?」
    「だから縫ってやるって言ってんだろ?ほら、貸してみろよ」
    
    ずいっと手を出されて、レイヴンは思わずきょとんとした顔でユーリの顔をまじまじと見た。
    
    「……何」
    「青年裁縫できんの?」
    
    意外だ、と言わんばかりのレイヴンの言い方にユーリは少し口を尖らした。
    下町にいた時は全て一人でやっていたのだ。
    金もそんなになかったから服が破れた時などは自分で適当に繕っていたし、子供達に頼まれてぬいぐるみを修理したこと
    だってある。
    
    「針と糸で縫い合わせりゃいいんだ。誰にでもできるだろ?」
    「その針と糸はどこにあんのよ」
    「持ってるよ」
    
    ほら、と見せられたのは携帯用の道具箱だった。
    まあ元々備え付けられていた道具とは別に色々入れれるものは入れてるので、小さな鞄のようなものになっているが。
    何度かユーリがその箱を開けている姿は見たことがあったが、まさか裁縫道具まで入っているとは思わなかった。
    
    レイヴンが関心しながら上着をユーリに渡すと、ちょっと待ってろと言われ早速修繕が始まる。
    その手つきはかなり慣れているもので、これもまたレイヴンを驚かせた。
    器用な針さばきで瞬く間に穴をふさいでしまうと、最後の玉止めまで終わらせてしまう。
    
    目の前で行われるその作業に見入っていると、ふとユーリが上着に口を寄せた。
    俯いていたせいで落ちていた横髪をさらりと耳にかけると、糸を歯でぷつりと噛みちぎる。
    
    「よし終わった。はいおっさん、っておっさん鼻!血出てるぞ!!」
    「ほえ?」
    
    最後にどこかおかしいところはないかチェックして、その出来栄えに満足したユーリが上着を返そうとレイヴンの方を見ると、
    そのレイヴンが呆けた顔で鼻血を垂らしていたので思わず返そうとした上着をひっこめた。
    レイヴンも自分が鼻血を出していたことに気づかなかったのか、鼻の下を指で触ると確かにぬるりとした血の感触にうおっと驚く。
    
    「ちょ、やば止まらな…っ」
    「動くなおっさん!服に血が付く!後鼻の頭摘まんどけよ!」
    
    とりあえずユーリが手近にあったティッシュを箱ごと放り投げると、レイヴンが慌てて顎まで垂れてきていた血を拭った。
    あらかた拭ってしまうと、最後にティッシュで栓をする。
    まぬけなことこの上ないが、まだ片方だけだったことが幸いだ。
    
    「あービックリした。もう色んな意味でビックリした」
    「こっちの方が吃驚だっつーの。どうしたよいきなり…」
    「いやあ…青年のあまりのエロさに耐えきれず」
    「はあ?」
    
    修繕の終わった上着を今度こそレイヴンに返しながら、思わぬ鼻血の理由にユーリは意味がわからないというような声をあげた。
    
    「エロいって、何が」
    「何がって、最後の糸を噛み切る仕草!あれをエロいと言わずなんというのよ!!男のロマンじゃない!」
    「気持ちが悪い」
    
    拳を握って語るレイヴンを間髪入れずすぱっと切って、さっさと上着を羽織るよう促す。
    ユーリの頬に怒りマークが見えたレイヴンも、それ以上は何も言わずへいへいと上着を羽織った。
    
    「どう?おかしくない?」
    「んー、うん。オッケー」
    
    着ていてもそんなに目立っていない縫い目に、ユーリは満足気な声でさすが俺と笑った。
    さっき穴が開いていたところを触ってみれば綺麗に縫い合わされていることがわかる。
    するするとそこを触りながら、さすがねーと呟いた。
    元々器用な男だと思っていたが、もしかしたらそこら辺の女よかよっぽど手慣れているかもしれなかった。
    
    「あーあ。軍にいた頃に青年がいてくれてたらなあ…」
    
    腹が膨れるだけの料理に、ボロボロの軍服を思い出してはあと溜息をつく。
    軍ではおいしい料理など出てくることはなかったし、針など扱うどころか持ったこともない者ばかりで、
    服が破けたら新しく支給されるまでそのままということがほとんどだった。
    
    あの頃ユーリが軍の中にいれば、大分違ったかもしれないのに。
    
    「あー?バカ言ってんなよ。それに、別にいいけど金取るぜ?」
    
    ニヤリと笑って言われた言葉に、それもそうかと苦笑する。
    そんなボランティアを青年がするわけがないのだ。
    
    「青年は上司からも遠慮なく金巻き上げそうだしねえ」
    「当たり前だろ?俺そういう不公平なのって嫌いなんだ」
    
    溜息をつきながら言った言葉に当たり前と返され、レイヴンは思わず噴き出した。
    あの頃ユーリにそんなことをされたら、自分はどう思っただろうか。
    今のようにニヤリと笑いながら「20ガルドね」と手をつきだされる。
    想像して、はあと溜息をついた。
    
    「……かっわいくない部下だわー」
    「ハハ、確かに。でもおっさんそういうの嫌いじゃないんじゃねえ?」
    「まあ、ねえ……」
    
    確かに、嫌いじゃないかも知れない。
    だが。
    
    「でもどうせならおっさん、青年のこと嫁さんに貰いたいわ~」
    
    言いながらガバッとユーリに抱きつけば、腕の中からはぁ!?と素っ頓狂な声が零れる。
    ギャーギャーと暴れる青年を何も言わずただずっと抱きしめていれば、
    やがて諦めたような溜息と共に散々自分を押しのけようとしていた手足が止まった。
    更に我慢強く抱きしめ続けていれば、おずおずと背中に腕が回される。
    
    思わず緩んだ口元をそのままにユーリの耳を見れば、ほんのりと赤く染まっていた。
    
    「愛してるよ、ユーリ」
    
    その耳元で囁けば、ぴくりとユーリの体が動いて耳の赤さが更に増す。
    もぞもぞと腕の中で居心地悪そうに動きながら、うー…と唸る彼が可愛くてポンポンと頭を叩いた。
    こんな鼻にティッシュ詰めてるような男に……とぼやきながらも、ユーリも観念したように完全にレイヴンの胸に身をゆだねて。
    
    「そんな声反則だっつの……」
    
    最後に一つそう小さく呟いた彼は、苦し紛れにレイヴンの背中をペシンと叩いてやった。

        

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